考えるということについて考える

今日は散歩に行ってみた。1日何もしていないから。

 

その道すがら、考える、ということについて考えてみた。考えてみた、というほど意識的なものではなくて、自然発生的に何かそのようになった。自分の意識下ではここのところ考えるということについて課題を感じている。

考えるという行為を行なっている反作用として、考えていない、つまりは十分に考えるという行為に至っていないという無意識が顕在化してきたものとも言えるのではないか。いずれにしても、自分が考えるということについて、上手くできてない、ということに気がついた。一生それに気がつかないよりはましかな。

散歩としては、電車に乗って国分寺に行き、そこから自宅まで1時間の散歩コース、は時々選択するコースで、いつも同じをあまり良しとしない性格であることから、さて今日はどうしようかと電車内で思案。

国分寺に到着後、とりあえず、いつもお世話になっている奥さんへのプレゼント的な何かを探し求めにちょっとブラブラ、紀伊国屋書店で気になった本を購入(いつもと違う視点を持って本を眺める、ということをしていたらそれはそれで非常に面白く、それで一つネタになりそうなのでまたいつの日か考えとしてまとめたい)。その後、駅内スーパーでいつも買うパンの類を購入し、さて散歩へ。

今日は国分寺から府中まで歩き、そこから武蔵野線で帰宅する、という新たなコースを選択し、いつもよりも電車賃がかかるけど、好奇心はどうしてもそちらを選択するため、まそれでいいか、とそうすることに。

今日は夕方も遅かったため、いつもならブラブラしながら寄り道するんだけど直線的に府中方面へ。途中東京農工大の脇を通り、京王線府中駅から大国魂神社へ。今日は何やら夏祭り(?)で盛り上がっていました。祭り着に身を飾った方々が踊りを披露するステージが設置されていたので、それなりの大きな祭りなのだろうね、何か東京らしいなーなんて。

そんなことを考えた、のではなく、それらはただ事実を認識した、事実からただ感じただけで、考えたうちにも入らない。

 

主に考えたことの一つは子どものこと(笑)。息子ら2人、どんな風に育って欲しいかなー、私はどんな風に育てようとしているのかなーなんて。肩肘張ってあれもこれも押し付けるつもりもないし、したいようにやってくれればいいんだけど、親として何でも良いというわけでもないし、信念としては自分の考えは持っておいていた方がいいんじゃないかと。

子どもの教育については、塾に行かせようとか、進学校に行かせたいとかそんなことはどうでもいいと思っている。もしそれなりの賢さがあるとすれば、それなりの学校に行けばいいのではないか、と思うし。本人が行きたければ&行けてやっていける能力があるのならね(そうじゃないと悲惨な目に遭うかもしれないし)。ま、そんなことはないだろうけどね。子どもに求めたいことは、いずれにしろ、物事を自分で考え切り拓く、ということかな。色んなことの本質を理解しようと好奇心をもってみたり、柔軟な考えを持ってあれこれチャレンジしたり・・・それが難しいんだけど。まずは自分がそうなれるように努めることが大切かと。子どもにあれやこれや求める前に、自分がそうであれ、ということに結論つきましたが。

 

もう一つは、自分の「考える」という作業が真に考えるということになっていないという前置きに書いたことについて。それって、自分に染み付いたものでもあるのかもしれないけど、高校までの学習習慣って、自分で考えるというよりかは、与えられた知識を覚えることが主たる学習で、課題について自ら方策を創造することってほとんどなかったように思う。その習慣が未だに抜け切れていないのか、今現状として目の前にある課題にも、知識の獲得と解決への手段を理屈として考える癖。当然それはそれで必要なこととも思いつつ、教育界においてはラボ的な要素が入ってくると全く良しとされないパラダイム

教育的には0から1を生み出すことは非常に難しい。けど、多分そんなことをする必要もなくて、今現状にある過去からの蓄積をよく解釈、自分事化し、1から2、3、4と創造的にクリエイトすることの方がよっぽどいいのでは。今いる環境だと、そんな条件が十分に揃っているのに、それらを上手く活用していない、ということ、つまりは向かうべきことに対峙していないことを今年新年度になってから痛いほど感じているところ。

 

今のところの考えるということについては、教育政策的な制約はとりあえず置いておいて、教育的な育成のために必要なことを過去の蓄積をもとに十分検討、実践することかと考えており、その「考えており」というのも十分に考えきれていないことから、さらに時間を費やしていきたいと思う、というところで二学期が始まる前に意識を新たにしたいと「考えて」います。特にこの夏休みについては久しぶりにサンダーボルトな日々でした。自分の成長には痛みが伴うんだね。苦しいけど、それをもエンジョイする境地に早く行き着きたい。