教養であるとか創造性であるとか

あけましておめでとうございます。

2020年になり、今年は何かと忙しくなるなーと感じており、冬休みは子どもとしっかり遊ぶことにしました。

その中で、すきま時間を何とか読書なり、書き物なりに費やしてきたのですが、今冬の学びはいささかgeneralなものが多かったせいか、専門的な知識が増えたことよりも、自分の領域を他分野から批判的に概観することができました。

それって本当に必要なことだなー、なんて感じます。

ライトなところでは、村上春樹のエッセイ本を、見返してみました。村上春樹のエッセイはとても読みやすいし、あっという間にかなりのところまで読めます。

 いつも彼の作品は目につくところにあるのですが、平日などに読むのは少しはばかられますが、まとまった時間の中で、今日はすることないなー、みたいな時に最適です。子どもにまとわりつかれながらも(笑)、楽しく読破しました。

村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた (新潮文庫)

村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた (新潮文庫)

  • 作者:村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1999/03/02
  • メディア: 文庫
 

 

 

辺境・近境 (新潮文庫)

辺境・近境 (新潮文庫)

  • 作者:村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2000/05/30
  • メディア: 文庫
 

村上春樹のエッセイを読んでいて一番共感(というと偉そうだけど、そうなのか、も含む)するのは、物事の見方・考え方の多面性というところにあるような気がします。日頃の生活場面でその場の状況における考え方を垣間見ることができ、彼はそのように考えているのか、という視点を与えてくれます。それというのは、自分のものと比較した時に新たな見方・考え方となり、それは私の為人となるべきものだと思います(もちろんそうしたからといって村上春樹になれる、なりたいわけではない、上から目線ではもちろんなくて)。 

 

私は、教員としても当然なのですが、これからの社会で必要なものは真に教養を持つこと(教養についての定義もこれまでと同様であってはならないと思います)、そしてしっかり現実を見極めて、自身の考えや協議をしながらその場に応じた適切解を一つないしは複数提示していくことにある、という方向性で考えているところです。

そんな中で、私としては注目すべきところは「哲学」分野にあると思っています。下の本の中にある、「現実の仕組みを把握するデザイン感覚」中島隆博です。

 

東大エグゼクティブ・マネジメント 課題設定の思考力

東大エグゼクティブ・マネジメント 課題設定の思考力

 

 …たとえば中国思想の場合に、まずは古代から歴史をたどって教えてみようとなると、これは退屈ですよね。自分がそのように中国哲学史を教えるという姿をイメージしただけで退屈です。そうではなくて、かつて歴史上で生き生きとした議論が行われていたわけですから、そうした論争的状況を正確につかんで、現代からみるとどういう意味があるのか、それはやはり考えないと駄目です。あなたたちがそういう状況になったら問いをどう引き受けますか。そういう思考を積んでいくプラクシス「実践、実行」が必要なんですね。

…ものを考えるとはこういうことか、ものを理解して、問いを立てるとはこういうことかとわかるはずです。中高生というのは、そういうことを知りたいわけですよ。別に倫理の教科書に書いてある内容を覚えて、穴埋めしなさい、括弧のなかから選びなさいといったことをやりたいわけではない。もっと自分たちに深く関わっている問題があって、しかも将来に自分たちでそれらを決定しなければならない局面が来るとわかっている。その準備のために、自分たちで考える練習をしてもらうことが重要なのです。

 ただ、そのためには、いまの授業で想定されている「教養」を超えたペースペクティブをもった教師が必要です。…たとえばスポーツを教えるときに、下手な指導者は自分の理解しているものを無理やり教えて、あとは一生懸命頑張ろうと言います。そうではなくて、そのスポーツの特徴をどのように見せるのかが重要で、そこにはどういう段階があるのか、そして、いまあなたはここだと教える。あなたはこういう動きをしているが、でも、こういう別の動き方の可能性が実はあって、こういうふうに具体的にできるんだとイメージを与える。こうしたことがものすごく大事ですね。

 

この辺りが英語教育で具体化されることが重要で、小学校や高校でのつながりも意識しながら、中学校でできることの最大化を図れないかと思います。

授業の展開なども、student-centeredなのはそうなのですが、教師の力量として生徒の反応を想定をしておくこと、生徒の力量をその場でどのように看取るか、三年間の育成・習得の見通し、…など、教師の「教養」を持っておくこと、大切ですね。

 

私自身、SLAに関する諸研究から実践を概観、具体化することに傾倒してきて、今でもそれは変わりない事実です。一方で、いわゆる教養であるとか、創造性であるとかを養うのに、狭い範囲だけで考えていても、全く広がりがないと感じます。実践を創造するにも、一般教養としてのより広い知識を持つこと、それらを自分の範囲に援用していくこと、援用していくにあたり問いを立てながら噛み砕いていくことで、「生徒のための授業」がより具体化されると思います。私がここ数年で大きく変化したのは、英語教育に対するモノの見方・考え方という視点、生徒の変容を見とる視野、そして実践に対する創造性ではないかと思っています。まだまだ足りない視点ばかりですが、今年は「深い学び」について検討しながら、楽しく、実りのあるteaching and learningを実現したいと思います。