研究としての学びの還元について思ったこと

関東地方の緊急事態宣言が開けて少し経ちますが、東京は人出が戻ってきており、車も多いなーと感じています。

 

数日前にセミナーを開催したのですが、参加して頂いた先生方とは色々と協議ができ、気がついたら予定の時間を1時間もオーバーしてしまいました。

すみません、というのと同時に「深い議論ができて楽しかったです、ありがとうございました」というのが正直なところです。

 

先日はちょっとした用事をするために車で出かけなければならず、近隣の県までいくこととなったのですが、初めていく土地だったので、どのような感じかと思っておりましたら、まあ私の実家のような田舎具合で非常に安堵しました・・・。

 

その田舎具合を傍目に改めて考えたのですが、全国各地の学校の先生方って、田舎から都会までいらっしゃるわけなのですよね。いろんな先生方が日々生徒指導や部活動に奮闘していてお勉強もされていてってなるとなかなか時間が物理的に取れないし、実践的な話を欲してしまうってのはよくわかる話です。

 

いくら私が研究的なことをしていても(それが役に立てればいいのですが)、それを研究的にどうだかってお話しても何にも伝わらないのですね。

 

そこで私は考えないといけないことがある。

 

「私は如何に学びを還元していけばいいのだろうか。」

 

それはフレーミングということか。

 

学校業界で通りやすい言葉、通りにくい言葉ってあるんですよね。

学校の先生方にお話するときはそれなりの言葉を使わないといけないんだろうな。

学習指導要領とかで聴き慣れた用語であれば伝えにくいことも伝わるはずか。

こうこう、こうすると「学びに向かう力」がこのように養えると考えます、

深い学びって、こうこう、このように考えてます、その実践ってこうこう、このようにやってみました

などの方がよっぽど良いかもね。

 

いつも自分の考えでいっぱいだったのだけど、なんか久しぶりに東京を離れて田舎に行ってみたら考えが俯瞰できた感じがするし、心身ともにリフレッシュされて良かったなー。

 

という感想。当たり前といえば当たり前のことだけど、そこから少し離れたところで実践している身としては、その当たり前に気がつくかどうかって大切だね。