授業分析を通しての子どもの思考の究明 杉本(2013)

言語を処理していくにあたり、子どもがどのように思考するのかを考えることやその結果としてどのようなアウトプットがなされるのかを検討することは必要なことと言える。一方で、子どもが学ぶ知識が明示的であると同時に、(特に)暗示的でもあることを考えると、なんだかわからないけど、英語が使えるようになってた、ということもある。そこには、思考を巡らすよりも、体得していることの方が多いのかな。

いずれにしても、教師の持つ英語習得と子どもの習得状況は当然異なるわけで、そのずれ、いわゆるnoticingを上手く活用することを通した思考、もしくはアウトプットの変容について考えることができるのかな。

 

授業分析を通しての子どもの思考の究明 杉本憲子

第1節 子どもの思考の動きの追及と授業分析

1 教育学の基礎研究としての授業分析

授業分析:子どもや教師の発言記録を基礎に、授業の中での身体的な活動や、

子どものノート・作文や作品なども含めた授業の記録にもとづいて、授業に関わる諸問題を究明すること(日比・的場 1999)

 

ー授業の適否を判断する基準を外からもって来て分析をし、指導改善の手立てを検討するという方向ではなく、実践の中から学級集団あるいは個々の子供の発展の様相を探り、それによって授業の適否を判断する基準そのものを追及するという方向で理論と実践との結びつき

が求められている。

ー重松:1)授業分析は「授業改善に貢献すべき教育理論そのものを強靭な真に実践を指導する力を持ったものにしようとする狙いを持つ」

2)現場の教育研究者は、「自分自身の事実をとらえている立場を反省しながら、その事実についての論理的な考察を試み、むしろ教育学の基礎を提供するという姿勢を捉えなければならない」

 

授業分析の課題(日比・重松 1978)

1)授業分析の実践的課題:よい授業の実現

2)授業分析に固有の課題:きょうの授業を通してあすの子どもの可能性を具体的に構築すること

3)授業分析の理論的課題:子どもの可能性を表現する叙述形式の究明

ー授業分析はよい授業の実現やあすの子どもの可能性の追及という実践的側面の課題のみならず、その根底に子どもの可能性をどのようにとらえ表現するかという理論的課題を有するものである。

 

2 授業分析の中心的課題としての子どもの思考の動きの究明

ー子どもの思考に働きかけそれを発展させる点に授業のねらいをとらえるとき、それがいかに実現したかを検討するには、実際の授業の場において、子どもたち(または個々の子ども)の思考がどのように動き変容していったのか、その事実を丁寧にとらえていく必要がある。

 

3 分析視点にみる子どもの思考をとらえる着眼点

授業分析の視点(日比・重松 1978)

1)基本的視点:①ずれ:教師の意図と子どもの動きとのずれ

②変化:授業の転換点、分節の変わり目

③関連:子どもたちの間の考えのつながり

2)総合的視点:①雰囲気 ②リズム ③間

ーずれ、つまずき、考えの対立やつながり等は、教師と子どもとの関係が集中的に立ち表れる点としてとらえられ、教師の意図とどのようにずれが生じたか、あるいは子どもの考えが他の子どもの考えとどのようにつながったり、対立したりしているかなどを丁寧に探っていくことが求められる。

ー授業分析はずれやつまずき、考えの相違やつながりとその変容等に着目して、子どもの思考を相互関連(関係的把握・空間的把握)とその動的変容(動的把握・時間的把握)の側面から立体的にとらえようとするものである。

ー分析の視点が分析者の立場や方法を集中的に示しているものだとすれば、こうした分析視点から授業を観察・分析することは、結局求める授業像の理論や仮説から授業をとらえることになり、本来授業分析という手法を通して求められたはずのこと、つまり授業の事実から教育理論を構築していくことが実現され得ないのではないか

→重松(1961):「仮説自身を検討する立場を堅持することが大切」と述べているように、

視点は仮説的に設定されるものであり、授業分析を通してとらえ直していく姿勢が求められる。

 

第2節 授業におけるずれへの着目

1 授業におけるずれとその諸相

授業におけるずれの諸相を考えてみると、

1)まず教師と子どもとの間、すなわち教師の立てた目標や計画と実際の授業での子どもの反応や理解とのずれ

2)子ども相互の間に成立するずれ

3)この認識におけるこれまでの理解とのずれ

このように教師と子どもとが働きかけ合う授業という場は、ずれの動的な複合統一(上田 1973)としてとらえられる。

 

習得を教える教科(習熟でもなければ熟達でもない)である英語はこの辺りをいかに解釈し、具体化すべきなのか、本気で考えないと。授業分析の概要論を概観することを通して見えてきたものは多いな。