インプットの科学に向けた序章(2)

現在担当している中学校1年生の授業では、アウトプットも求めているのですが、インプットを与えることの方を重要視しています。

ここしばらくは、インプットを与えることで生徒はどのような状態になればいいのか、という指導者的な感覚を高めたいと考えています。

インプットを与える際には、ただ与えるだけではなく、(1)に記載した5つの視点から「楽しく学ぶ」ことができるものに実践構想の着眼点を求めながら計画、実施しています。

 

それらを踏まえ考えるところなのですが、

インプットを与える際には基本的には

○コミュニケーションとして伝える内容に意義がある英文である

○そのメッセージを理解することが第一義である

○生徒がその内容を解読する際に(特にわからないところの)形式にも目を向ける

○見聞きした形式を上手く活用し(関連したテーマで?)運用練習をする

ことが必要かと考えています。

「インプットを与える」大きな目的をSLA的に解釈すると、noticing (a hole, the gap)が起きた形式をintakeなり何らか記憶体系に保存されるなどされた後、短期的、長期的にアウトプットに取り組むpracticeを繰り返す中で安定した記憶として手続き化がなされる、ことであると考えていますが、本当にそうなるとといいなぁといったところが正直なところです。

といいなぁ、というのは、それってあくまで理想論であってそんなに上手くいくのか?と思っているからです。つまりは、individual difference、文法事項による覚えやすい、覚えにくいの差異、指導手続きの課題…などがあるのではないかと考えられますし、中学校の3年間という期間でできることは限られています。できることを最大限見出すとともに、できなうことも明らかにできれば、これからの可能性がさらに明らかになると思います。こんな風に書くと一見簡単そうなのですが、その実を明らかにすることは非常に難しいことですね。中学生を対象とした言語習得力学がさらに進むための貢献をするべし!

実践は今年の公開研究会で一部を共有しました。

実践してみた感想として挙げられることは、生徒が まだまだインプットとする英文を自分のものにしきれていない、つまりは指導の手続き、指導者として考慮すべきことに多くの不備がある、ということです。

その理由の一つとして挙げられることは、自作で作った少し長めの英文を与えたのですが、まだまだコミュニケーションとしてのコンテクストに不自然さがあることが大きいのではないかと思います。与えられた課題をただ何かこなすだけ、と言う風な。この壁を打ち破るためには「英語」の世界観をさらに広げること、その世界観に浸らせること、そう仕向けるための教師の役割をさらに高めること、かもしれません。この辺りをしっかり考えることにちょっとしたブレイクスルーがあるのかも。

より「自然な流れ」で英語にexposeさせるというところを突き詰めること、その取り組みをいかに持続させるかを検討すること、からふりだしに戻りながら「英語とどのように関わるのか」をさらに磨いていくことでさらにインプットのあり方が見えてくるのかもしれないですね。