柴田(2007)における授業分析

所属している学会のSIGで非常に興味深いワークショップが開催されるというので、事前学習をしておくことにしました。

この柴田(2007)から見えてきた授業分析については、私としてもかなり考察を深めたい視点が多くあり、内からの理論的発信という視点は「たいへん」興味を惹かれております。英語教育における授業分析のあり方、そして英語教育の展望に思いを馳せながら有意義なクリスマスを過ごしているところ(笑)です。

 

教育学研究における知的生産としての授業分析の可能性

柴田好章(2007)

はじめに

…実践者と研究者が、現場の実践上の課題を共有し、こゆうの役割を保ちながら、協力してその解決にあたる。そこでは、理論知、形式知よりもむしろ、教師の実践知、暗黙知が重視される。実践知の意識化や再構成をもたらす機会としては、具体的な問題解決を志向した協同的なアクションリサーチが有効である。特に近年では、こうした実践の反省や創造における、実践者と研究者の協同が強調されるようになってきた。

稲垣・佐藤(1996)《反省的実践の授業研究》

「文脈に繊細な個別的な認識」

「教育的経験の実践的認識の形成」

「経験の意味と関係(因縁)の解明」

 

《実践への理論の注入》は、新たな実践のパースペクティブをもたらす機会という利点もあろうが、先に挙げた反省的実践家をはじめとして近年の教職の専門性をめぐる教育学の議論からみれば、克服すべき点が残されている。

《実践の共同開発》アプローチにおいて、現場の具体的な問題解決を志向した協同であっても、多くの場合、依然として、実践者と研究者の間に、本質的な非対称の関係性が潜んでおり、そのことが、真の共同を阻む。

※非対称の関係性:研究者が自らの使命とする、教育学研究の実践、すなわち教育理論の構築において、現場との協同を《必然とはしていない》ことである。

 

1.《授業研究》の逆概念としての《授業分析》

授業研究:なんらかの研究的意図をもって、授業を計画し、計画に基づき実施し、実施した結果を評価することを通して、授業の改善や教師の成長を期待する一蓮のプロセス。

授業研究における研究者の協同:授業研究は、授業の改善や教師の成長を促すための営みであり、その主体は実践者たる教師である。研究者が、これに協同して、参加することは有意義であるが、あくまでも授業研究を支える支援者である。支援には、授業の内容や方法に関する《実践的な知》を提供する場合と、研究方法に関する《方法的な知》を提供する場合がある。その比重によって、先に見たように、《実践への理論の注入》アプローチとなるか、《実践の共同開発》アプローチになるかが左右される。

先にも述べたように、実践者が主体者となるべき授業研究に研究者が協同するだけでは、真に互恵的な関係ではない。そこには、研究者(大学)と実践者(学校現場)の非対称な関係が潜んでいる。

 

授業分析:授業研究の事後の評価の段階において、教師の力量の形成に役立てたり、授業の改善の方向を見いだしたりすることができる。

 これら2つの効果に加えたもう1つの意義:未知を既知に変え、理論として構築していくこと。すなわち、教育学の理論構築である。どのように学びが生起しているかを、事実に即して具体的にかつ深く把握することによって、社会の共有財産として、教育実践に関する知を形成しうる。

授業分析の主たる分析の過程は、分析者による記録の《読み》である。授業記録を精読し、できるだけ恣意的な解釈に陥らないよう、事実と事実の関連性を慎重に考察し、整合的な解釈を作り上げる。

授業分析でもっとも強調されることは、授業の事実にもとづいて、「強靭な真に実践を指導する力を持った」教育理論を構築していくことである。したがって、所与の理論の裏付けとしての授業分析や、授業の適否を判定する基準を授業の外から持ち込むことは拒否される。また、表面的にとらえられる事実だけではなく、個々の子どもの思考過程にまで遡って事実をとらえようとする点に特徴がある。

具体的な子どもの学びのあり方をとおして、授業とは何か、学ぶとは何か、そして、それらの可能性はどこにあるかを、共有財産の学問知として生成することに、授業分析の意義がある。そしてそれはまた、教育学研究者に課せられる固有の役割に基づくものである。

こうして、学ぶ意味と、その可能性の具体的把握を通して、教室は、教育学的概念の発見、ないしは再発見される知的生産の現場となるのである。実験的な操作の対象としてではなく、あるがままの子どもの学びのあり方から、学ぶことの意味や可能性、ひいては授業の可能性を理論的に構築しようとするところに、教育学研究における授業分析の意義がある。

 

2.教育学的概念の発見・再発見の方法としての授業分析

授業分析に課せられる最も主要な第1の条件が、事実にもとづく理論構成がなされる点である。

デュルケームの「教育の科学」のように、思弁、規範によらない理論構築を目指している点で、客観性、実証性への指向性がみられる。

・具体的な考察の方法は、子どもの《生》を身体的かつ共感的に理解することを中心とするものであり、解釈学的人間科学との親和性も高い。

・質的な研究という点では、エスノメソドロジーとの親和性は高い。…しかし、エスノメソドロジーが、たとえば、直接に見えない関係性を浮かび上がらせることに関心の力点があるのに対して、授業分析は、学ぶこと自体を凝視した研究である。

 

3.授業分析がめざす理論構築

理論と実践の問題解決について:教育実践現場の問題解決には、大学などでけんきゅうされている教育、学習、発達、授業等に関する諸理論が直接的に処方箋を提供できるような構造にはない。問題解決の糸口は、授業の外側にある諸理論の中にあるのではない。解決の糸口となる「可能性の芽」は、すでにその事態の中に内包されているのである。授業の内側に潜んでいる可能性の芽を探し出し、そこに授業をとりまく様々なリソースをうまく結びつけていくことによって、解決が図られていくのである。そして、このリソースの一つとして「理論」が位置づけられている。

したがって、実践に耐えうるか、実践を切り開くかどうかは、専門家たる教師によって、参照に足りうるものかどうか、という意味で捉えるべきである。この参照可能性こそが、重松のいう指導であろう。教育実践の知の体系化は、教育学の学問的な発展のためだけではない。実践を語る《ことば》を社会的に共有していくためのものである。専門家として実践を協同で反省するための議論において、具体にもとづいて経験と観察を再構成する際に参照しうる理論を形成することも、今日の教育学に課せられた課題であると考える。

 

4.授業分析における教育の科学化

授業分析において、事実に基づく、とは:「すべての事実を斉合する(辻褄が合う)ような体制にくみ入れて説明しようというところに分析の基本的な態度」がある。

 

5.授業分析が求める理論

ここで、この授業分析が子どもの思考過程を研究対象としているのは、単なる偶然ではなく、必然である。これは、授業を構成する主たる3要素、教師・子ども・教材のうち、特に、子どもを焦点化しているというわけではない。ましてや、何らかの選好として子どもを、研究の中心においているのではない。

 教師の発問を検討するのにも、目標・価値・教育内容の具現である教材を検討するのにも、子どもの思考の検討を経ずしては成立しないのである。

子どもの思考過程を解明しようとすること、は、単に子どもを子細に観察するということにはとどまらない。子どもを見ることは、授業を行う上での常識の範疇であるが、視線の方向は、常に、教えるものから学ぶものへと注がれている。

現場に立ち会おうとする我々がすべきことは、子どもがどういう空間・時間を生きているのかを、共感的に理解しようとすることである。理解しようとする自分が、自身の身体を媒介として、理解しようとする相手の生に限りなくシンクロナイズしていくことを通して、ようやくながら、少しずつ感覚として伝わってくるものがある。身体による共感や、想像による洞察の働きを要する。

常に変化する主体である子どもを、またに《変化している》ものとして捉えることが、事実にもとづく授業分析において、最もとらえたい事実である。一般的には変化は、2時点間の比較によって把握される。…いわば、一瞬一瞬がみせる不連続性を、連続性の中に見出そうとするのである。これには、やはり、身体を媒介とした、相手の《生》の理解を必要とする。この、身体的理解を通した動的な把握が、理論構築をめざす授業分析のための第5の条件である。

 

6.授業諸要因の関連構造の研究方法論

1)事実にもとづく理論構成(先行する仮説・理論の排除、事実の整合的解釈)

2)教育実践からの参照可能性のある理論構成(耐性、先導性、共有可能性)

3)可塑性のある理論構成(相互規程性、事実の優先的地位)

4)子どもの思考過程の解明(学習の現場への遡及)

5)動的な把握(身体的理解)

授業諸要因の関連構造の研究

授業諸要因:子どもや教師の個々の言動やそれにかかわる個々の物理的な事物のレベルでもとらえることができるし、またそれら諸要因のあるまとまりの示す精神活動[例:想起、推論、直感]のレベルから、自信といった観察による抽出のより困難な要因のレベルまで、それら諸レベルの関係を視野に置いて授業諸要因の関連構造を究明する必要がある。

まず、この研究では、固有名詞の子どもの単元を通した一連の具体的な発言や活動を分析し、思考過程を明らかにしている。そして、その事例における授業諸要因の関連構造が、直感、自信などの教育学的な概念を用いて明らかにされている。こうして、観察・記録された事実から分析が進められ、内在・関与していると想定される精神活動のレベルの要因が加えられて、整合的な解釈がなされ、一定程度の理論的な構造が析出される。また、授業に関する諸理論からも、授業諸要因の抽出とその関連構造が析出されている。そして、既存の理論から導き出される構造と、さきに授業分析によって明らかにされた授業諸要因の関連構造とを照合することによって、より整合性のある理論的構造化が行われている。

《実験》という行為と《検証》という認識の作用について:実験によって何らかの検証が得られるとすると、検証の成立を実験が支えているということができる。と同時に、それが実験であるということは、検証の成立が支えている。

相互規定性は、概念間のみではない。優先的位置を与えた《事実》と、そこから分析者が構成する概念の間にもおこる。生きた子どもの世界の中に、分析者が実験という概念を見出すのは、事実を説明するに足る実験という概念を有しているからである。つまり概念が、無限の解釈の可能性がある生の世界から、その(実験とよばれるに相当する)事実を浮かび上がらせている。しかし、相互規定的というのは、概念が固定的で不変的な定義を有していて、一回一回の事象は、その定義に当てはまるかどうかを、概念の側にある門番によって判断されるのではない。概念が事実を説明することによって、逆に説明された事実からその概念が照射される。分析者が、無限の可能性の中から、あえて実験という概念をその世界に見出すのは、実験という概念の側の力のみによるのではない。分析者の力によって、実験とよばれるに相当する事実が、価値あるものとして選び取られたのである。こうして、実験という概念は、再び現実の世界の豊かな《生》によって意味づけられる。これが、現場における教育学的概念の発見あるいは再発見としての授業分析である。

 

これだけでも理解をするには時間がかかりますが、さらに理念的な理解を深め、実質的に功を奏する授業分析ができるようにSIGではしっかり学びたいと思います。

 

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英語教員のための授業活動とその分析

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 こりゃ冬休みは忙しくなりそうだ。